ボーイミーツピンク

男子がピンクを好きになるように、臆することなく好きなものをむふむふ愛したいんだ

中国語の先生になるには

 今更ながら中国語教師になろうと思う。今二つの方法で悩んでいる。

 中国語教師になるために留学するか、それとも今いる会社で新規事業として中国語教室をやっていくか。この二つの選択肢だ。

なぜなりたいのか

  • ここまで8年間お金も時間も費やしてきて後には退けない、これでお金を稼ぎたい。
  • 頭がグレーゾーンなので、器用にどんなこともできない。しかし、先生という職業は自分の中では向いていると思う
  • 何かのプロフェッショナルになりたいと思う、できるだけ若いうちに

 ただ中国語の先生で表に立ってプロデュースされるのは、かわいい先生のみなので、自分は教室を運営させ、授業もするというようなスタイルがいいと思う。

 

修士課程を留学する利点

  • 日本の大学院はお金の関係上、行けない。有利子の奨学金なんてのはただのローン。その点、中国留学で奨学金をゲットできれば、学費・寮費・生活費までつく。
  • 外国語なので、そもそも外国で勉強することに意味がある。
  • みっちり2年間、言語と向き合える
  • 修士をとって、先生になった時に箔が付く。少なくともないよりは役に立つ。

修士課程を留学する欠点

  • 27という年齢になるのと、余計な箔がついたら就職活動が難しくなる。
  • 税金や社会保障がストップする。
  • 婚期を逃す可能性高め
  • あんまり風土が体に合っていないので、ニキビが大量にできる心配
  • 自分で責任もって、お金の管理をして、計画を立てて留学するという、自分自身のコントロールがストレスになる。

今の会社で新規事業として中国語教室を行う利点

  • 自分がすぐリーダーになれる。すぐ経験を積める。
  • 元手は会社なので、自分の資産面のリスクが低い。
  • 現時点で人間関係比較的に良好なので仕事しやすい。
  • 自分の塾での運営ノウハウをそのまま転用できる。
  • 自分の税金・社会保障を閉ざすことなく生きていける。

今の会社で新規事業として中国語教室を行う欠点

  • 経験が浅いのと留学経験の少なさで絶対「指導面で自信がある」人との対立する恐れ、軽んじられる恐れ。
  • あの時、留学していればなと勉強不足を思った時には留学はできない可能性。
  • 中国語はその国に行けば努力に関わらずできる範囲を広げるが、今のままなら制限付きの先生となる。つまりプロフェッショナルな先生にはなれない。
  • 自分の故郷に骨をうずめてしまうのはなんとなくつまらない気がする。

 

 

 箇条書きで書くとこんなところだけれど、結局は留学を選ぶと思う。この選択肢の場合は急がば回れなんじゃないか。

 

 今の自分はかりそめなんかじゃない。今の自分も本物の自分だ。

 タラレバばかり言うような選択はしたくない。

 

女の子のさびしさにご用心

 女の子のさびしさほどそら恐ろしいことはない。

 バランスを崩さないように、さびしさが体に入ってこないように、本や音楽でどうしようもない空虚を埋めるものだが、それができなければどうなるか。ということを最近思い出した。

 

 自分の幼馴染が男のところにいったきり、音信不通になった。

 親同士が職場仲間だったのとほぼ同い年だったことが原因で親が集まるときには問答無用で一緒に遊んでいた。ただ仲がいいというわけではなかった。それでも彼女は私によくしてくれた。

 彼女の家はもともと祖父母、父、二人の兄、母と暮らしていたのだが、祖父母は他界し、父も病気で亡くなった。二人の兄は独立した。母はアクティブなタイプの人で、あまりもともと家にいないのに加えて、新規事業に没頭していた。

 彼女は突然独りぼっちになってしまったそうだ。看護学校にも通っていたそうだが、やめて男のところへ行ってしまった。今はどこにいるかだれも知らない。

 自分よりも大人言うことの聞き分けが良くできていて、かわいらしくていい子だった。男のところに転がり込むようなタイプではない。

 

 けれども女の子のさびしさというのは怖いものだ。留学時代、こんなことがあった。

 留学した時、自分の大学からもう一人、一緒に行った女の子がいた。仮にマリとしよう。マリは佐野ひなこ似の美女で、分け隔てなくしゃべる性格と英語が話せる子だった。中国語のクラスは一緒だったものの、マリのほうが中国語もよくできた。日本に彼氏がおり、写真を見せてもらったときは、おおまさに美男美女だと思った。将来は奨学金を返しつつ、キャビンアテンダントになるべく、留学をするのだと言っていた。

 マリは遅刻癖はもともとひどかったが、だんだんその頻度が増していった。1週間、2週間来ない日もあった。彼女は韓国人の男とセフレの関係になってしまい、授業そっちのけになってしまったのだった。

 留学終了後の半年後。思いがけずの会中国語検定の試験場でマリと出くわした。一応一緒に留学して、同じクラスで勉強していたのに一年前よりもなんだかぎこちなかった。そして彼女が受けた級は私が受けた級よりも1つ下だった。その級はもう半年前にすでにとっていた。

 マリは目を引くタイプだったが、努力も確かにする子だった。だけど。なんとなくだけど、彼女もすごくさびしかったのかもなと思った。

 

 女の子がさびしさを紛らわすためにとる行動、特に男が絡むとほんとうに危険だ。大胆というか、その人の人間性にかかわらず理性をふっとばしてさびしさを埋めようとする。

 こういうことを考えるとCoccoの「強く儚い者たち」を思い出す。

 冒頭は、

愛する人を守るため
大切なもの築くため
海へ出たのね
嵐の中で戦って
突風の中生きのびて
ここへ来たのね

 と、海へ出て旅している主人公が描かれている。南国に飛び魚がアーチをつくって旅人を出迎える、おとぎ話のような歌だ。

 だけど、

だけど飛魚のアーチをくぐって
宝島に着いた頃
あなたのお姫様は
誰かと腰を振ってるわ

 このぐさっと刺すような直接的な表現。18歳ごろはその部分が汚い表現に見えて苦手だった。しかし友達はその曲をところかまわず流していた。ある日、そのフレーズの部分をどう考えているのか聞いた。

「お姫様もさびしかったんじゃない?」

 この歌詞は最後、

人は強いものよ そして儚いもの

 心の弱さがどうであれ、行動そのものはとても強い。もう周りにどんなふうに思われようと、大切な人が傷つこうともいとわない。そんなアンバランスさ。

 だから、女の子のさびしさはこわいのだ。

参考資料

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クリームにほどけて

 いちごチョコパフェ一択。

 店員が熱い円盤状の黒々光る鉄板に、クレープの生地を流し入れ、くるくると薄く伸ばしていく。湯気を出しながらクレープの生地は焼き上がっていく。香気が立ちこめる。

 やっと終わった。

 張り詰めてたものがほどけていく。

 先ほど、HSKという中国語の試験が終わった。ちょうど一ヶ月前に受けよう!と決め、超特急で勉強をすすめた。

 テストなんて2年ぶりで、お腹が痛くなった。直前になると自分の課題と向き合いたくなるから、斉木楠雄のΨ難を見て現実逃避を繰り返した。肌は荒れる。

 テスト行く前にはこのまま1時間、ここで動かなかったらどうなる?とか頭の現実逃避は止まらなかった。しかし身体はこういう時、やたら冷静でちゃんと黙々とやるべきことを果たしてくれる。

 テスト中は計3時間半のテストで途中何度か意識が飛んだものの、とりあえずやりきった。

 自分の生徒もこんな気持ちでテストしてるのかな、なんてすこしだけ感じた。試されるってこんなかんじか。

 

 中身のいちごとチョコとクリームがクレープにひっつめられ、紙に巻かれ渡された。

 勢いよく頬張る。すっぱさ、甘さ、ほろ苦さが一緒くたになってる。けど指先までだらけさせるような甘さが広がる。ほどける。

男の子ですか、女の子ですか  君の名は。の入れ替わりジェンダーの話

 塾講師として保護者から電話で体験の受付をするとき、名前を見て一応聞かなくてはと思っていつもためらうことがある。

「あの、男の子でしょうか、女の子でしょうか…」

 今時、性別不詳な名前も多く、音の響きだけで判断するのは禁物。

 塾講師としては~さん、~くんと呼ぶこともあるし、やはり対応するとなると男の子か女の子かはわかったほうが何かと対応しやすい。お迎えでも男子なら夜遅くても自転車で帰るお子様もいますよと言えるし、女子なら何時までにどこに迎えにきてくださいね、などの話もしやすい。塾で同い年の同性がいるなら友達の可能性もある。そしたら、少しでも塾を勧めやすくなる。そして講師はその子が入ったときのイメージはしやすくなる。

 とはいえよ。今でもふいに思うのは、

”それって本当に必要な質問なのかよ。それと、男か女かなんて、そんな単純なもんか?”

 

「千人の人がいれば千通りの性がある」

 

 大学生の頃、自分の担当教授が言った。

 その当時、「君の名は。」がとても流行っていた。それを見て疑問に思った。瀧くんの体で心は三葉ちゃんのとき。

 あんなに…もじもじするかな。

 まず歩き方。私は普段でも内またでも蟹股でもあるかないし。きっと、自分が男性になってももじもじもおどおどもせずにすぐに”男の子”に慣れる(なれる?)はずだ。というかむしろ本当の男に負けないように(?)、体を少し大きく見せれるように足を開いて歩くと思う。

 もしくは魔が差したら、鎖骨がきれいに見えるVネックのニット着て、宝塚さながらに超レディファーストになってどのくらい女の子をメロメロにできるか確かめたくなるだろうな。

 逆に女の子の体に男の子が棲みついちゃったら、赤ーい口紅つけて、体のラインがでてスリットが際どいところにまでさっくりとはいった黒のワンピースを着て、黒のピンヒール履いて、はい!女ですよ?みたいな恰好で色んな男を落としに行く気がする。けして、雑な動きはしない。むしろ、歌舞伎の女形のように必要以上に艶っぽい動きをするはずだ。気分は青年漫画のおねえさま。

 宝塚の貴公子も青年漫画のおねえさまも現実に存在しない。だからこそ、ステレオタイプ以上にステレオタイプなことをしたくなるんじゃないか。

 君の名は。を見てこんな風に感じたと同じゼミ生に話すと、みな思い思いの見方があるようで、

「私は女子が男子になった時の描写は想像ってかんじだなって思ったけど、男子が女子になった時の描写は妙にリアルに感じた。特に胸をむちっと触るシーンなんかさ。あー、これは男性監督が作ったんだなってなんとなく感じたよ」

「あの体を触るシーンとか内心ありがとうございます!って感じだったけど、俺からするとすごくリアルに感じて恥ずかしかったわ。なんだか覗いちゃったようで…」

 「瀧って、男の子の体の時はわりと中性的な身のこなしなのに、三葉になったら、急に男の子っぽく粗野になった気がする。妙に自信でてるし。やっぱそうしたほうが入れ替わったっていう演出しやすいからとかかな?」

「男の子体なら私でも、甘ーいものたくさんたべるね!でもね、女の子が全員甘いものが好きだ思ってたら大間違いだよ」

 体が入れ替わっただけで、みな男女の見方が変わっていた。いつのまにやら大学生らしい言葉“ジェンダー”の話に成っていったとき、教授が言ったのだ。

―—―千人の人がいれば千通りの性がある

 

 男 か 女   Man or Female   先生 还是 女史 ―――?

 

 だけじゃ質問しきれない。測れない。その人のことを分かった気にさせるけど、何も分からない。傲慢な質問だ。この空白と空白の間に相手はどんなふうにとらえてるのかも知らないで。

 この質問を塾講師である以上、問い続ける。けれど、使うとき、鈍感になりたくはない。千人の人がいれば千通りの性がある、それをちゃんと頭に染みこませていたい。

instagram、違うようで同じ、近いようで遠いディスタンス

 インスタグラム。雑誌の切り抜きかと思うほどのおしゃれなコスメの写真、アングルも凝っていて、その人はこう自分を魅せたいということをはっきりわかる。しかし、どれも誰かのインスタグラムで見たような写真のテイストだから本当に個性があるのかないのかはわかならい。けどそれが見ていて安心する。身近に感じる。

 昔加藤ミリヤの「HEART BEAT」(コカ・コーラの歌だったやつ)を聞いた時、ある一小節が気になった。

笑って泣いて みんな同じって 喜び抱きしめる 

  完全なるゆとり教育に染め上げられた身なので、他人の個性を大事にしましょうと叩き込まれてきた。だからこそ、みんな違ってみんないいという考えであって、みんな”同じ”ってことに喜び感じることに対して違和感があった。同じ、なんて私たちの世代では誉め言葉ではない。同じで安堵するのはせいぜい宗教程度。同じで喜ぶ?

―—―違う人間ってことより、受け入れがたい”同じ”ということ。

 でも、この曲は好きだ。同じってことを感じてもいい。違うってのと同じくらい、同じっていうのも素直に受け入れる肯定感。

 

 SNSは今まで遠くで輝く有名人との距離をぐっと縮めてきた業績がある。

 しかし、自分が昔好きだったある芸能人をふと見かける度になんとなく複雑になる。すごく申し訳ない気分になる。

 同じなんかじゃ全然なかった出来事だ。

 自分がその人を知ったのはインスタグラムだった。モデルなので、すらりとしていて、赤いリップと独特の言葉遣いとセンス。古着もモードも着こなして、これぞシティガールだと思った(Popeyeかよ)。そして、そんな素敵な人に直接メッセージを送れるなんてこの時代の素晴らしき哉。いろんなメッセージを書いた。明らかにおべっかな内容で。時には質問系で書いたりした。

 もちろん、返ってこない。当たり前のことだ。

 自分がどんなに考えた文も届いているかわからない。たぶんその人の友人と思しき人物の短くて内容のない文にはその人の返信があった。

 ある日、その人が活動に関して感謝の投稿を行った。速攻、賛辞のメッセージを送った。すると、

 いつも応援ありがとうございます。

との返信があった。その文はファンと見られる人、全員に送った文。実に機械的であった。

 分け隔てないそのメッセージにはどうしようもない隔たりを感じた。

 それを見て、私はメッセージを送ることをやめてしまった。この距離は決して埋められない。ファンである以上、近くなんてならない。遠いんだ。

 その人に決して攻撃的な内容を送ったことはない。その人も有名人なのだからファンと友人の線引きをきちんとしていた。SNSのルールと秩序は守っていた状態だった。だからこそ、突然その人にメッセージを送らなくなった自分が後ろめたい。勘違いしていた自分が痛い。このことは何となく恥ずかしくて誰にも言えなかった。

 

 違うようで同じ。近いようで遠い。これが私にとってのインスタグラム。

 今日も、遠い世界の人を間近にいるような幻覚を見、個性ある人のどこかで見かけたような投稿に癒されている。

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All converge on "the one"の予感

 中学生の頃、ハマった本は乙一の「しあわせは子猫のかたち」、香月日輪の「妖怪アパートの幽雅な日常(全部好きだけど、特に第7巻が好き)」、山田詠美の「ぼくは勉強ができない」、そして滝沢馬琴の「南総里見八犬伝」。

 中学生の頃、あれだけ本を読める時間があったのにも関わらず、印象に残っている本が少ない。中学生の頃の読書は私にとって、背伸びして読んでいたもので、あまり”がつん”と来る小説は少なかった。がつんというのは、頭をおもっきりぶたれるような落雷に打たれるような、目からはらはら鱗が落ちてくるような、少し手荒い衝撃のこと。

 本を読むには多少傷ついてたほうがいい気がする。あの頃は少しばかりの傷しかなかった。傷口から沁みないと本が体に染みこまない。

 上の四冊の本の影響で刷り込み済みだ。妖アパではかっこいい大人を刷り込まれ、時計ではロ〇〇〇スなんてダサい、と書かれりゃ、そうだな!と思い今の審美眼にも影響してるし、山田詠美にはシャネルの口紅を大人になって手にしたときなんかはようやくこれで大人になったのね!とほぼすっぴんで赤い口紅を差したもんだ。あの黒と金のキャップを開ければ、最高にキュートな女になれると未だに魔法少女のアイテムのように思ってる。

しあわせは~はときどき何とも言えない感情が高ぶった時、ふっと思い出しては自分の心を癒してくれた。そばにだれか寄り添ってくれているような、やさしい物語だ。

 そして、南総里見八犬伝。これはしかたしんのアレンジされた里見八犬伝で初めに読んだ。(原作は滝沢馬琴なのだけれど、作者のアレンジによって微妙に話の筋が変わっているので、またそれが面白いんです)

  ストーリーは犬と姫の間に生まれた、てんでばらばらになってしまっている八人の犬士たちを集め、南総の里見家を敵から守る。手掛かりは、姫が持っていた玉と名前の苗字のみー。しかも八犬士たちは敵同士だったり家来だったりと立場もさまざま。

 こんなRPGみたいなストーリーが江戸時代に書かれていたのか。胸躍る。

 ストーリーの中で多少無理しても、ぜんぜん集まらなくても、犬士たちは口をそろえて、

「自分たちは伏姫さまがついてる!絶対大丈夫!」

と強気だった。事実、大丈夫だった。

 そういう何故か自信みたいなのがあると、何だかよくわからないけど、うまくいきそう。

 失敗を恐れないから。失敗も必要だからあるんだって思えるから。

 そういう予感を持って、魅力的な人物に巡り合って何かを成し遂げる―—―。そうでありたい。

 

 大学生の時、上海に1年留学していた。そのころずっと聞いていた曲がある。

 三浦大知の「All converge on "the one"」。すべてはやがてはひとつに収束していくという意味。

 ゆったりとしたオリエンタルなサウンド三浦大知の暗闇から響かせているような透明で優しい声。異国のハイウエイの下、遠くのまばらに輝く光を見つめてその音に耳をすませながらずんずんと歩いていた。

 この歌の主人公は誠実で、損な役回りばかり回されて、傷だらけで。でも強い。

すべてがやがてゆっくりとひとつに収束していく

 何が?はわからない。でも、いつか。頼りない自分がいつか収束したとき、強くあるために今があるのかも。その予感は未だに揺るがない。自分は将来それは馬鹿なかんがえだったと言うだろうか。それとも、やっぱり正しかったねというだろうか。

 頭で何を考えていても、足は前にとりあえず前進しつづけた。せかすように。

 

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2019年、明るい歌声ときらきらとした衣装を見ながら今年を考えてみた。

今週のお題「2019年の抱負」

 いつもながら紅白を見て、CDJを見ながら、出演者の高揚した「明けましておめでとうございます!!!」を聞くたびに自分の心もたぎる感じがする。こうやって新年を迎えるとき、自分の体は日本で刷り込まれてきたんだなとしみじみと思う。すでにゆるくなった酎ハイの泡をなめながらまどろむ。

 明るい歌声ときらきらとした衣装を見ながら今年を考えてみた。

 

 2018年。見た目では特にいつもと変わらない会社員だったはずだ。しかし、中身の部分では新入社員の時よりも激動だった。

 自分のしたいことが明確になり始めてきた。今まではやれればいい、生きていければいい、そう思って仕事してきた。でも2018年になって明確に好きなことがわかってしまった。

 中国語だ。

 今の会社には翻訳部門はあるものの、私の経験値・実力では使われることはあまりない。できることとしたいことは違うと社長にも言われていたし、自分もそうだと思っている。ただ好きだからそばにいたい。その程度だ、それ以上はないと思ってきた。

 語学を勉強してきて始めは通じることが楽しい!程度だった語学。語学は道具以上のものではないと周囲から言われるのをただ聞き流していたころの話だ。

 オープンカレッジで細々と勉強している中、魯迅の文学・文革の映画などあらゆる生教材を通して勉強してきて、語学はただの道具でないことを知った。

 表面だけの意味以上のものが外国語では書かれていて、それは私にとって未知だった。仮に意味だけわかってもわからない部分がある。それは日本人とは違う文化を持っているわけだから推察ができにくいからだ。

 本当に理解するには言葉だけじゃなくて時代背景とか関連する出来事を頭に入れないといけなくて、それを自分で調べて、頭の中で咀嚼して、シナプスがどんどんつながっていって。だんだん輪郭が出てくる。

 語学を通して歴史・文化・思想、いろんなことが絡み合って、文字と文字との間の意味がわかる―—―。それは自分にとっては衝撃的なことだった。大げさだけど、天啓なのかもなって思うほど、指先がしびれて頭がくらくらした。

 それを体験するのに8年かかった。

 もう抜け出せない。

 できることとしたいことは違う?

 ―――ならできるようにすればいいじゃない?

 経験がないなら、積みに行けばいいじゃない?なーんてことを考え始めた。

 留学するか。

 ここから先にもし行けば、失敗するかもしれない。でも、今何もしなければ、一生趣味。自分は趣味だと思って勉強したことなんてない。これから先、自分の家族が病気なったりしたら、行きたくても行けない。周りはきっと日本を出ていこうという考えに賛成しないと思う。けど、誰かの意見を聞いて、果たしてその人が私の何を責任取ってくれるというのだろうか。しないでしょ。

 今HSK5級の勉強をしている。すでに4年前に取った級だが、有効期限の関係で失効している。留学の奨学金の応募事項で必要だったので、とりあえずとろうと勉強中だ。

 今年、本当にどうなるかわからない。レールから大きく外れるだろう。

 でも、今はただこれがすべてだ。

 うまくいけるように、ただただイヤホンに耳をねじ込んで、耳を澄ませて、シャーペンを動かした。