All converge on "the one"の予感
中学生の頃、ハマった本は乙一の「しあわせは子猫のかたち」、香月日輪の「妖怪アパートの幽雅な日常(全部好きだけど、特に第7巻が好き)」、山田詠美の「ぼくは勉強ができない」、そして滝沢馬琴の「南総里見八犬伝」。
中学生の頃、あれだけ本を読める時間があったのにも関わらず、印象に残っている本が少ない。中学生の頃の読書は私にとって、背伸びして読んでいたもので、あまり”がつん”と来る小説は少なかった。がつんというのは、頭をおもっきりぶたれるような落雷に打たれるような、目からはらはら鱗が落ちてくるような、少し手荒い衝撃のこと。
本を読むには多少傷ついてたほうがいい気がする。あの頃は少しばかりの傷しかなかった。傷口から沁みないと本が体に染みこまない。
上の四冊の本の影響で刷り込み済みだ。妖アパではかっこいい大人を刷り込まれ、時計ではロ〇〇〇スなんてダサい、と書かれりゃ、そうだな!と思い今の審美眼にも影響してるし、山田詠美にはシャネルの口紅を大人になって手にしたときなんかはようやくこれで大人になったのね!とほぼすっぴんで赤い口紅を差したもんだ。あの黒と金のキャップを開ければ、最高にキュートな女になれると未だに魔法少女のアイテムのように思ってる。
しあわせは~はときどき何とも言えない感情が高ぶった時、ふっと思い出しては自分の心を癒してくれた。そばにだれか寄り添ってくれているような、やさしい物語だ。
そして、南総里見八犬伝。これはしかたしんのアレンジされた里見八犬伝で初めに読んだ。(原作は滝沢馬琴なのだけれど、作者のアレンジによって微妙に話の筋が変わっているので、またそれが面白いんです)
ストーリーは犬と姫の間に生まれた、てんでばらばらになってしまっている八人の犬士たちを集め、南総の里見家を敵から守る。手掛かりは、姫が持っていた玉と名前の苗字のみー。しかも八犬士たちは敵同士だったり家来だったりと立場もさまざま。
こんなRPGみたいなストーリーが江戸時代に書かれていたのか。胸躍る。
ストーリーの中で多少無理しても、ぜんぜん集まらなくても、犬士たちは口をそろえて、
「自分たちは伏姫さまがついてる!絶対大丈夫!」
と強気だった。事実、大丈夫だった。
そういう何故か自信みたいなのがあると、何だかよくわからないけど、うまくいきそう。
失敗を恐れないから。失敗も必要だからあるんだって思えるから。
そういう予感を持って、魅力的な人物に巡り合って何かを成し遂げる―—―。そうでありたい。
大学生の時、上海に1年留学していた。そのころずっと聞いていた曲がある。
三浦大知の「All converge on "the one"」。すべてはやがてはひとつに収束していくという意味。
ゆったりとしたオリエンタルなサウンドと三浦大知の暗闇から響かせているような透明で優しい声。異国のハイウエイの下、遠くのまばらに輝く光を見つめてその音に耳をすませながらずんずんと歩いていた。
この歌の主人公は誠実で、損な役回りばかり回されて、傷だらけで。でも強い。
すべてがやがてゆっくりとひとつに収束していく
何が?はわからない。でも、いつか。頼りない自分がいつか収束したとき、強くあるために今があるのかも。その予感は未だに揺るがない。自分は将来それは馬鹿なかんがえだったと言うだろうか。それとも、やっぱり正しかったねというだろうか。
頭で何を考えていても、足は前にとりあえず前進しつづけた。せかすように。
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