ボーイミーツピンク

男子がピンクを好きになるように、臆することなく好きなものをむふむふ愛したいんだ

頑張っても報われない世界で、物語は——バッドジーニアス 危険な天才たち

がんばったら報われるとあなたがたが思えることそのものが、あなたがたの努力の成果ではなく、環境のおかげだったこと忘れないようにしてください。あなたたちが今日「がんばったら報われる」思えるのは、これまであなたたちの周囲の環境が、あなたたちを励まし、背を押し、手を持ってひきあげ、やりとげたことを評価してほめてくれたからこそです。

 はは、よくぞ言ってくれたり。これは東大入学式に東大名誉教授の上野千鶴子先生が東大入学式の祝辞。

 なんとなくそうだろうとは思っていた。みんなスタートラインが同じように見えて、一人ひとりの発達などの個性の問題や家族・環境の問題がある。マイナススタートの人間もいる。 

 優秀さ、というのはやはり集中できる環境が必須なのだ。お金しかり、家庭環境しかり。

 それを「がんばったら報われる」と成功者は信じてる。このギャップ。どうせ、私たちがどう言おうと、言い訳にしかならないんだ。

 環境も自身の能力も展望もある若者にがつんとかましたこの文章は痛快だった。

 

 優しく守られない。むき出しの世界の天才たち。これはこの映画の中で生生しく描かれていた。

バッドジーニアス

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(ネット上からの引用)

 私は怠け者でけして性格が良くはないが、したことがない。いい子ぶんなよってかんじかな。でももう少しつきあって。そして安心してほしい。

 世の中、カンニングなんて結構ありふれたもんなのだということを。

 それは高校生の時に知ったことだ。

 私の行っていた高校は大学の国公立の付属高校だった。教育大学なので、先生に将来なる人の大学だ。高校のほうはそんなに高い偏差値ではないが、大学の偏差値は高い。

 高校も敷地内にあって、一か月だけ高校の改修工事の関係で大学の校舎で勉強していた。高校生のくせに大学で勉強できるなんて、ちょっとわくわくだ。

 ある日、机の中に教科書を入れると、何やら紙屑が入っている。取り出すと、消しゴム程度の大きさの紙で化学式のようなものが書かれている。しかも大量に詰め込まれている。

「?」

 初めてコンドームを見た子供のようにきょとんとしていると、古典の先生が、

「まったくこの大学のレベルは…」

「なんですかこれせんせー?」

カンニングペーパーですよ」

 ぎょっとした。ええ、そうなの? これがうわさのカンニングというやつか! しかもこうした紙は教室の机の中にあちこちに入っていた。

 今までこういうことをする人は頭が悪いから苦肉の策でするのかと思っていた。しかし、ここは国公立大学で、県下では大学名だけで一定の賞賛を得ることができるような大学だ。

 つまり、別にカンニングなんてそんなめずらしいことではないし、世の中平気でできちゃう人もいる。

 悪い意味で、器用な人たちがいるのだ。

 その器用な人たちはカンニングを重ねて学校の先生になり、生徒のカンニングを平気な顔で叱っているのだろう。

 

 この映画を見て、今まで考えたこともなかったことだが、なんでカンニングしなかったのだろうと思った。

 勉強は運動や芸術とは違ってやればそれなりの成果がだせるもんだと思っている。だからカンニングのリスクより、地味に地味に勉強していたほうがよっぽど小心者の自分にとっては楽な道だった。

 カンニングは警察に捕まったりはしない。犯罪ではないからだ。先生にはとっちめられるけど。

 ただ、やっぱりどこか卑怯な手段だ。他の人にばれたくない。

 

 この映画の主人公の高校生リン(画像左下)はカンニングビジネスをしていくが、自分がカンニングするのではなく、「カンニングをさせてあげる」のだ。

 そもそもなぜリン、後に出てくるバンク(画像左上)がカンニングビジネスに手を出したのかというと、貧富の格差があるからだった。二人は苦心して他の人を蹴落として奨学金をもらうような生活をしていた。かたやカンニングビジネスの客の同級生は贅沢三昧。埋めようもない格差の前にカンニングという犯罪ではない格好のビジネスが飛び込んでくる。

 

 勉強ってお金がかかるものだ。特に彼らが目指していた留学なんかは。

 留学ってお金はかかるが、お金があり、選ばなければだれでもできることであるのは事実だ。実際、留学生は質はまちまちだ。自分の国の大学に受からなかった、親との関係が悪い、なんらかの事情で国を追い出された、などなどそんな理由でもお金があればできてしまう。なんと、頑張らなくても報われてしまう世界すらある。

 しかし、お金がないなら、優秀になるしかない。優秀でなくて、お金もなくて留学しに来たのならばもうそれは留学じゃないのかもしれない。出稼ぎかもしれない。

 

 彼らは優秀だったし、方法はあるように思えた。しかし、たぶん彼らの目には目の前にころりと転がったお金がすべてになってしまったんだろうな。貧すれば鈍するのように。

 

 優秀な彼らが最善の方法を選べなくなるほどの抱えたものの深さへの描写、カンニングの鮮やかな手さばき、主人公リンのしなやかに伸びた四肢、バンクのどこを見つめているかわからない内斜視の目。そして、秀逸なカット割りも見ごたえだった。小心者は思わず息を止めてしまうシーンがあった。おすすめ。 

 

 

 

 

先生といううぬぼれに溺れてしまわぬように

 塾で働いていたころ、ある塾講師がこんなことをよく私と2人の時に言っていた。

「自分は東大生よりもよっぽど頭いいし、その辺の塾講師よりも教え方がうまい」

 社員3人の塾部門の中では、もちろん教え方もうまいとは思っていた。でも、その東大生より頭いいという自信、教え方は一体誰とどう比較してなのか検討つかなかった。ちなみに大学は私の大学とさして変わらない偏差値50ぐらいの大学だったような覚えである。根拠のない自慢や中学生ぐらいの勉強できたという話などは生徒の前か塾講師の前ではよくしていた。けして上司にはしないのだ。

 はじめはマウンティングのようなその行動がうまく理解できず、だからなんだと苦笑いしていたが、そのうち褒めたほうが相手の満足度が上がり次第に話さなくなるし、自分についても好感度が上がるので、口裏を合わせることが多くなった。

 しかし、確かに先生という職業って全能感を与えることがあるのだ。それは勉強を子供に教えると、まるで自分は何でも知っているような感覚になる。それが心地よい感じに思えるのだ。まあ言うならば、自慰のようなものに陥る。

 また、生徒は先生に従う。おまけに「先生」なんてご立派に呼ばれてますます見失う。それが先生という妙に勘違いをした(自分も含め)存在を作りだすのだと思う。昔、会社の別部門で教員の団体保険を売っている人が中学校で営業している時にある先生を見かけた。その先生は電話越しに、

「だから~、アンタネェ、お宅のお子さんはそこがだめなんですってば!」

と、保護者に説教していたらしい。昔と言っても平成最後の年の話だ。保護者(お客様)をアンタと呼ぶなんてのはさすがに塾講師(会社員)はしないが、そうなってしまったのはなんとなく理解できる。

 なんか勘違いしちまう感じ。まじでこわいわ。

 

「今のあなたの中国語レベルを100パーセントで表すと?」

と今日中国語の先生に聞かれた。この先生はとてもいい先生だよ。

 考えてみる。日常で特に支障なく会話ができる。血のにじむ練習を経て、おおよその発音はできてるはずだ。なので、この時点で50は超えてると認識している。さらに、特定の分野の自分の考えを述べたり、だいたいの内容を文章から掴める。大学院にも入れたし、HSK6級も合格水準以上はある。でも、経済や医療などはいちいち単語を確認しなければ認識できない。文法もまだまだだ。となると、70ぐらいだろうか。

 謙虚な数字を出すことは意外と簡単だと思った。しかし、低ければなんとなく中級の人たちや何年か前の自分を軽んじてるように思えた。だから、周りはどう思うかわからないけど、

「70パーセントです」

と答えた。クラス全員に同じ質問がされた。思いのほか皆の答えもだいたい60か70ぐらいだった。

 先生は、

「ああ、このクラスの人たちは正常ね。90とかいう答えも論外だけど、10や20という答えもよくないの。ちゃんと自分の力がわかってる」

 10や20はストイックすぎるという意味もあるだろう。日常会話ができるのに10、20というのは。追い詰めすぎというか。

 将来、中国語の先生になる学部にいる。自分の実力を正しく理解していこう。

先生なんて言葉に惑わされないよう、自分だけは自分のことをちゃんと知っていたい。

 

 

アキラのような街で

 

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    2019年、令和元年はアキラの年。

 アキラの街・東京に行ったときの大きくない建物がひっつきあって、一駅一駅で文化が変わる感じがすごく面白いところだと思った。

 私の生まれ育った街はさびれてはかろうじてないけど、工場工場工場フィリピンパブ工場みたいな街だから、どこにいても平面にしか感じなかった。東京は多彩な飛び出す絵本が折り重なってまるでびっくり箱のような華やかさだった。なるほど、高校卒業してすぐ上京する19歳の気持ちが少し解る気がする。

 ただ、ゾクゾクするような街といったら、やはり私にとっては上海なのだ。そして、ああここがアキラなのかもしれないと思うような極彩色豊かな街だ。

 アキラ、攻殻機動隊(私はテレビアニメのスタンドアローンコンプレックスが好きなのだが)、phyco-passなど灰色の街並みに目が冴えるような漢字が目に飛び込んでくる。

  开锁,黄金回收なんて漢字だけでもわくわくさてくれる。 

しかし、心残りなのはアキラをリアルタイムで見れなかったことだ。

NHKでやってた漫画道という漫画家がどうやって漫画を描くかを撮ったドキュメンタリーでの話だ。漫画家の浦沢直樹氏と山下和美氏の対談の中で漫画の「アキラ」の衝撃の話をしていた。うんうん、私もそれを感じてた。でも両者とも口をそろえて、

「初めはすごく斬新だったんだけど、今はたくさんのアニメ・漫画に影響与えすぎて、はじめ見たほどの衝撃はないよね」

と言っていた。

 そうなのか!あ、でもそれどっかで知ってるな、と思って思い出しのが「セブン」だ。

 セブンは七つの大罪にそって、猟奇的な殺人をするジョン・ドゥ(名無しの権兵衛)を血の気の多い若い刑事と退職を七日前に控えた老刑事の話だ。雨がふりそそぐ大都会、人がたくさんいるのに無関心、7というキーワード、など実にテーマに凝った内容だった。

 目を覆いたくなるような不快極まる独創的な殺し方、徐々に刑事を追い詰める展開…、面白いんだけど、なんか知ってるな。あ、「ミュージアム」だ。あれを見た時のさぼいぼたるや。調べると、ミュージアムは「和製セブン」とも呼ばれているらしい(タバコの銘柄のような呼ばれようだ)。

 あー、タイムスリップして、アキラ読みたい、セブンみたい、ついでに90年代のコカ・コーラのCMみたいに仕事してコーラ飲んでさわやかテイスティしたい。

 なんて、生臭さ漂うアキラのような街でふと考えてた。

いかに公正な値段でケータイを買うか

今週のお題「わたしの自由研究」

 ケータイをつくること、これが折しも自分のオンタイムの研究テーマになっていた。今、中国の上海にいる。

 この記事はケータイの具体的な買い方とそれに関連する単語をピンイン(中国語のフリガナ)付きで紹介する。また2019年9月の時点のレートは1元=15円で換算している。もしよかったら語学勉強や中国でケータイを買うときの参考にどうぞ。

 ケータイは日本のようにキャリアのシステムではないので、ケータイ本体を買い、simカードを装着する。これだけだ。

 私は言語と地理の面に関して言えば、8年間勉強しているのと、大学三年生の時に上海に留学しに来たことがあるので、生活上特別不便はないはずだ。しかし、話し続ければいずれボロが出る(バレるのだ)。中国人が携帯するマイナンバーのような身分証を持っていないので、パスポートになるわけだし、いずれにせよ、こわいのはふっかけられることだ。

 昔大学時代に留学した際、携帯ケースを100元(当時にして1800円)で買った。お店ではアナタ中国語上手ネーなんてちやほやされてウキウキで買ったのだ。日本でもアップル以外のスマホケースはそんなもんだろう。しかし、後日聞いたらこんなの10元(180円)ぐらいじゃね?となり、ぼったくられたことが発覚。

 ぼったくりは金額も問題だが、それ以上に憤りと無力感を要する。だから、避けなければならぬのだ。

 

 ケータイは日本に居る中国人の子に事前に淘宝(táobǎo、ネットショッピングサイト)にて買ってもらった。その中国人の友達の友達が上海にいるので、受け取りはその子がした。私は日本に居る中国人の子に日本円の現金で支払い、日本に居る中国人の子は支付宝(zhīfùbǎo、アリペイ)にて支払った。話し合いの末、小米(xiǎomǐ、シャオミイ)というブランドで、1500元(22,500円)だった。うんうん、まずまずの滑り出し。六年ほどの昔は手机卡(shǒujīkǎ)は外国人だろうと身分の提示なく購入できた。道端でおばさんが売っているのをよく見かけたものだ。しかし、今は必ず身分証の提示が必要とのこと。これは現地でだまされないようにしっかり買う必要がある。

 中国についたその日にケータイを受け取った。あいにく手机卡店(shǒujīkǎdiàn)は閉まっていたので、翌日自分で買いに向かった。その際コース(套餐tàocān)の相談がすぐできるようにその子と約束した。

 そして待ちに待った戦いが始まった。学校の登録が午前中からあったので、なんだかんだで今は夜の7時だ。まず初めに自分は留学生だと自己申請した。するとおばさんがまずパスポートを出せと言ってきた。そこまでは事前に研究してきたぜ。確認後、シムカードの入った袋を取り出し一か月基本使用料29元(435円)、微信(wēixìn、ウェイシン中国版ライン)は使い放題とのこと。200元(3,000円)を前払いするとのこと。それが安いかよくわからなかったので、友達にすぐさま電話。友達はもう少し安いのがあるはずだといい(ま、435円て、日本なら破格だけどね)といい、そのままおばさんと話し合ってもらった。話によると外国人なので選べるコースが限られているので、これ以上安いものはないという。友達の了承ももらい、今回はおばさんおすすめの中国联通(zhōngguóliántōng、シムカード会社)のものを購入。

 同時におばさんがものすごい速さでカードの登録をはじめた。何事かと尋ねると、7時半にはカード登録が終わってしまう、これがすぎれば明日からしかケータイが使えないのだという。7時半てあと5分前!? おばさんの女子高生もびっくりの速さで登録していく。なんとか無事に登録終了。最低限のライフライン確保に成功した。

 ここは外国なので知らないことは聞く、できなことは頼む。これは案外大事なことだ。

 今回この経験の中で、もし外国人がいきなりケータイをネットで買ってほしい、なんて頼んだら日本人は買ってくれるだろうかと考えた。たぶんほとんどノーであるはずだ。でも中国人は人に頼むし人の頼みもよく聞いてくれる。日本人は人に迷惑をかけないのが前提だから、頼まないし(特にお金が絡めば)頼みも聞かないだろう。こういう国民性を履き間違えてはいけない。迷惑をかけない日本人は美徳と思われがちだが、一方で頼みを柔軟に聞けないという側面がある。異文化が優れている、劣っているのではなく、二面性があるという話ということを今回学んだ。

 

 

 

いい人間じゃないが、大学院生になった

 唐突だけど、大学院生になった。なってしまった。

 

 23歳で大学を卒業して、2年間、働いた。週6、残業代なし、ボーナスなしで。この待遇にもあまり納得いかなかったのは正直あった。

 一人暮らしで中々生活が苦しかった。ボーナスなしで増えない貯金残高に怒りを覚えた。堅実な企業に入った子の福利厚生を聞いて、週6勤務の自分のことは恥ずかしくて話せなかった。

 しかしそれより何より、社会からのドロップアウトした理由はこのままだとこのままだと感じたからだ。

 

 自分は18歳から中国語を勉強していた。大学の専門は中国語ではなかったけれども。大学3年生の時、交換留学生としても1年だけ留学した。周りからは行く前から留学したって1年だけじゃねェ…と言われることも少なくなかった。その後、帰国して仕事を探したが、自分の経歴的には中国語で仕事を探すことが難しかった。それでも少しでも中国語のそばにいたいんだよ、なんて思いで探してやっと翻訳部門もある仕事を探した。自分の部署は塾部門だったけど。

 でも、現実には全く任せてもらえなかった。空港に案内する、というような逐次通訳のような簡単な仕事はあったけれど、かなり限定的だった。自分は全く任せられず、中国人の学生や主婦が来て請け負っていた。8年間勉強をしている自分より、拙い日本語でも日本にいるという中国人が自分のしたい仕事をかっさらっていく現実。

 それでも自分は興味があって、その仕事をうらやましくて覗いてしまう。怒られる。その繰り返しだった。

「できないことをやろうとするな!」

ここは学校ではない。だから教えてくれないし、失敗もできないし、成長させてくれることもない。

 実力がないなら経験積むしかないが、経験も積めないのだ。もちろん実力も付けられない。

 このことに関して誰かを恨んでるということは何もない。社会では至極当然のこと。誰が悪いなんてことはないのだ。ここの部分、力なくさらっと書きたかったけど、自分にとっては結構大事な部分だった。これが俗にいう私のプライドだったのだろう。

 

 自分はそんな時、こんなことを考えていた。このまま10年、20年と月日が経って、自分がしたい仕事できなかった時の事。でも、きっと周りも自分も同じことを思うだろうと。

「で、何もしなかった自分が悪いんでしょ?」

 それだけだ。

 

 気がついたら、中国の大学院の奨学金の情報を取り寄せて、せっせっせと中国語で文章をしたためてた。折しも、社長との関係が劣悪になり、会社で浮きはじめ、勢いそのままに辞職を切り出してしまった。そのころまだ大学院に合格すらしてなかった。

 その後、大学院合格したものの、奨学金がとれるかはお預けだった。奨学金は給付型で学費・寮費免除で、生活費まで補償してくれるものだった。薄給で、税金が上がる前の政府のばらまき(商品券がもらえるやつ)の送られてきた書類にも見事に「低所得者」と書かれるほど貧しかったので、貯金はあてにできない。どうしてもとらねばならぬと思っていた。退路は自ら見切り発車で絶ってしまっているのだから。

 一か月後、通知がインターネットででた。合格。

 

 今は上海にいる。連日雨が続くこちらでは、モラトリアムになった私がいる。2年の猶予と身分不相応の身分をもらった。

 これをどうするかは自分次第だ。

 やめるまでにたくさんの人を傷つけ、塾講師から口をきいてもらえず、痛いほど自分がいい人間じゃないことを知った。そんなことを思い知ったのは25歳になって初めてのことだった。そしてどんな仕事もできるわけではなく、好き嫌いも贅沢だがある。

 でも、働かなくちゃいけないんだ。どんなものを抱えていても。

 今は文章に興味をもっている。だからもちろん勉強も大事だけど、文章も練習していきたい。可能性を知りたいんだ。

ボーイミーツピンク

 私はピアニカはピンクではなく、青を選んだ。

 先生はピアニカの色の注文で青を選択した私に記入ミスでないかもう一度聞いた。

 昔のほうが女子とか男子とか意識してたなあと思う。ランドセルやピアニカは性別でだいたいで色分けされたり、何かと整列すれば男女別の名簿に並ばされたり。制服だって女子はスカートだし、身だしなみ検査では膝をついて立たされてスカートの長さ検査されたり、男子は髪型について長すぎたら怒られてたし。

 型にはまった典型的な、大多数の大人が安心するような見た目のかまぼこ。

 先生たちはいつも言っていた、見た目の個性は本当の個性ではない、中身の個性を大切にしろって。でも、外見の解りやすい個性を受け入れられなくて、どうして中身のあいまいで掴みどころのない個性を受け入れられるのだろうか。

 始業式の朝、切られたかまぼこのように一列に整然と並ぶ後ろ姿を見ながらそう思っていた。

 大人になってからは好きな色はチャコールグレー、マニアックなSFアニメにのめりこみ、ナイキのスニーカーとサムシングのジーンズでどこにでも行き、ピアスをこよなく愛するどこにでもいるただの人になった。自分の意識ではどこか男女区分けとは解放された気でいて、中高苦手だったピンクとも少しずつ仲良くしている。ただ、周りが子育てとかの話をするようになって、女の子は手がかからない~だの、男の子は何をしでかすかわからない~だの、やっぱり女の子は生まれてきた時から女の子だのという話題が次第に上るようになった。

 子供がいないけど、万が一できたとして、自分もそういう男女っていう二択で閉じ込めて認識していくのだろうなあ。

 

「おれ、ピンクが一番好きなんだよね」

 中学生男子のこの言葉に面食らった自分はもうピアニカを性別で色分けする大人と一緒になってしまったのだろうか。

「へえ、何で?」

「だってかわいいじゃん」

 ペンケースもペンもトレーナーも確かにピンク。そうすると彼の友人の男子もまた、

「あー、俺も好き!ピンクのペンももってるよ」

 とピンクのペンで豚を描いて見せてくる。

 ピンクって女の子の色っていうイメージがあったけど、何にも臆することなく好きっていうピンクのその色は、もう女の子のイメージの色っていうより、新たなジェンダーレスのシンボルカラーに見えた。

 

 ピンク好きの男子たちに幸あれ。

 

3267文字

 長文に息が詰まる。

 仕事でミスすると上司からだいたい1000文字ぐらい来る。今日は3000強。ストレスを皆が見るチャットに発散しているのだ。

 自分がいけない。それはそうだ。そのことに対しては反省し、謝った。そして3000文字。

 

 自分を追い詰める言葉がせまってくる。