ボーイミーツピンク

男子がピンクを好きになるように、臆することなく好きなものをむふむふ愛したいんだ

いい人間じゃないが、大学院生になった

 唐突だけど、大学院生になった。なってしまった。

 

 23歳で大学を卒業して、2年間、働いた。週6、残業代なし、ボーナスなしで。この待遇にもあまり納得いかなかったのは正直あった。

 一人暮らしで中々生活が苦しかった。ボーナスなしで増えない貯金残高に怒りを覚えた。堅実な企業に入った子の福利厚生を聞いて、週6勤務の自分のことは恥ずかしくて話せなかった。

 しかしそれより何より、社会からのドロップアウトした理由はこのままだとこのままだと感じたからだ。

 

 自分は18歳から中国語を勉強していた。大学の専門は中国語ではなかったけれども。大学3年生の時、交換留学生としても1年だけ留学した。周りからは行く前から留学したって1年だけじゃねェ…と言われることも少なくなかった。その後、帰国して仕事を探したが、自分の経歴的には中国語で仕事を探すことが難しかった。それでも少しでも中国語のそばにいたいんだよ、なんて思いで探してやっと翻訳部門もある仕事を探した。自分の部署は塾部門だったけど。

 でも、現実には全く任せてもらえなかった。空港に案内する、というような逐次通訳のような簡単な仕事はあったけれど、かなり限定的だった。自分は全く任せられず、中国人の学生や主婦が来て請け負っていた。8年間勉強をしている自分より、拙い日本語でも日本にいるという中国人が自分のしたい仕事をかっさらっていく現実。

 それでも自分は興味があって、その仕事をうらやましくて覗いてしまう。怒られる。その繰り返しだった。

「できないことをやろうとするな!」

ここは学校ではない。だから教えてくれないし、失敗もできないし、成長させてくれることもない。

 実力がないなら経験積むしかないが、経験も積めないのだ。もちろん実力も付けられない。

 このことに関して誰かを恨んでるということは何もない。社会では至極当然のこと。誰が悪いなんてことはないのだ。ここの部分、力なくさらっと書きたかったけど、自分にとっては結構大事な部分だった。これが俗にいう私のプライドだったのだろう。

 

 自分はそんな時、こんなことを考えていた。このまま10年、20年と月日が経って、自分がしたい仕事できなかった時の事。でも、きっと周りも自分も同じことを思うだろうと。

「で、何もしなかった自分が悪いんでしょ?」

 それだけだ。

 

 気がついたら、中国の大学院の奨学金の情報を取り寄せて、せっせっせと中国語で文章をしたためてた。折しも、社長との関係が劣悪になり、会社で浮きはじめ、勢いそのままに辞職を切り出してしまった。そのころまだ大学院に合格すらしてなかった。

 その後、大学院合格したものの、奨学金がとれるかはお預けだった。奨学金は給付型で学費・寮費免除で、生活費まで補償してくれるものだった。薄給で、税金が上がる前の政府のばらまき(商品券がもらえるやつ)の送られてきた書類にも見事に「低所得者」と書かれるほど貧しかったので、貯金はあてにできない。どうしてもとらねばならぬと思っていた。退路は自ら見切り発車で絶ってしまっているのだから。

 一か月後、通知がインターネットででた。合格。

 

 今は上海にいる。連日雨が続くこちらでは、モラトリアムになった私がいる。2年の猶予と身分不相応の身分をもらった。

 これをどうするかは自分次第だ。

 やめるまでにたくさんの人を傷つけ、塾講師から口をきいてもらえず、痛いほど自分がいい人間じゃないことを知った。そんなことを思い知ったのは25歳になって初めてのことだった。そしてどんな仕事もできるわけではなく、好き嫌いも贅沢だがある。

 でも、働かなくちゃいけないんだ。どんなものを抱えていても。

 今は文章に興味をもっている。だからもちろん勉強も大事だけど、文章も練習していきたい。可能性を知りたいんだ。