ボーイミーツピンク

男子がピンクを好きになるように、臆することなく好きなものをむふむふ愛したいんだ

2019年、明るい歌声ときらきらとした衣装を見ながら今年を考えてみた。

今週のお題「2019年の抱負」

 いつもながら紅白を見て、CDJを見ながら、出演者の高揚した「明けましておめでとうございます!!!」を聞くたびに自分の心もたぎる感じがする。こうやって新年を迎えるとき、自分の体は日本で刷り込まれてきたんだなとしみじみと思う。すでにゆるくなった酎ハイの泡をなめながらまどろむ。

 明るい歌声ときらきらとした衣装を見ながら今年を考えてみた。

 

 2018年。見た目では特にいつもと変わらない会社員だったはずだ。しかし、中身の部分では新入社員の時よりも激動だった。

 自分のしたいことが明確になり始めてきた。今まではやれればいい、生きていければいい、そう思って仕事してきた。でも2018年になって明確に好きなことがわかってしまった。

 中国語だ。

 今の会社には翻訳部門はあるものの、私の経験値・実力では使われることはあまりない。できることとしたいことは違うと社長にも言われていたし、自分もそうだと思っている。ただ好きだからそばにいたい。その程度だ、それ以上はないと思ってきた。

 語学を勉強してきて始めは通じることが楽しい!程度だった語学。語学は道具以上のものではないと周囲から言われるのをただ聞き流していたころの話だ。

 オープンカレッジで細々と勉強している中、魯迅の文学・文革の映画などあらゆる生教材を通して勉強してきて、語学はただの道具でないことを知った。

 表面だけの意味以上のものが外国語では書かれていて、それは私にとって未知だった。仮に意味だけわかってもわからない部分がある。それは日本人とは違う文化を持っているわけだから推察ができにくいからだ。

 本当に理解するには言葉だけじゃなくて時代背景とか関連する出来事を頭に入れないといけなくて、それを自分で調べて、頭の中で咀嚼して、シナプスがどんどんつながっていって。だんだん輪郭が出てくる。

 語学を通して歴史・文化・思想、いろんなことが絡み合って、文字と文字との間の意味がわかる―—―。それは自分にとっては衝撃的なことだった。大げさだけど、天啓なのかもなって思うほど、指先がしびれて頭がくらくらした。

 それを体験するのに8年かかった。

 もう抜け出せない。

 できることとしたいことは違う?

 ―――ならできるようにすればいいじゃない?

 経験がないなら、積みに行けばいいじゃない?なーんてことを考え始めた。

 留学するか。

 ここから先にもし行けば、失敗するかもしれない。でも、今何もしなければ、一生趣味。自分は趣味だと思って勉強したことなんてない。これから先、自分の家族が病気なったりしたら、行きたくても行けない。周りはきっと日本を出ていこうという考えに賛成しないと思う。けど、誰かの意見を聞いて、果たしてその人が私の何を責任取ってくれるというのだろうか。しないでしょ。

 今HSK5級の勉強をしている。すでに4年前に取った級だが、有効期限の関係で失効している。留学の奨学金の応募事項で必要だったので、とりあえずとろうと勉強中だ。

 今年、本当にどうなるかわからない。レールから大きく外れるだろう。

 でも、今はただこれがすべてだ。

 うまくいけるように、ただただイヤホンに耳をねじ込んで、耳を澄ませて、シャーペンを動かした。